2018年1月5日金曜日

真夜中の縦軸横軸


久しぶりに真夜中にblogを。

志野織部皿 江戸初


歴史は時代的に縦軸で割ってよく時系列で話されますが、
別産地の同時代の横軸を紡いだ見解もけっこう好きです。

唐津は美濃に登り窯の製法を伝え大量生産を中央へと運んだこと、
美濃茶陶のデザインを唐津へと伝え内田皿屋や小山路へと影響を与えたこと、

逆もしかりなのかなと、この志野織部のいい加減な絵付けをみて思う訳です。
李朝のむちゃくちゃな絵付けの血を引いていない物なのか。

また、美濃の研究者が議論している、当時の生活環境、酒の需要量や人口と器の関係性などは唐津へももちろん転用して考えうるわけで、なかなか興味深くネットサーフィンしながら読んでいたりします。


それとはまた別で、最近この明治大正ぐらいの青磁のぐい吞を家でよく使っています。
なんの特徴もない、なんてことない瀬戸の青磁のぐい吞です。

しかし、この形、雰囲気に平戸系の唐津筒盃を思ったりするわけです。(徳利代わりに合わせているのはフランス製のガラスの水注です)

時代を縦でも横でもなく、なんというか斜めに比較して見るというか。
そういうのが嫌いではないんです。





最近買おうとおもったものに衣紋掛けがあります。

家に飾ろうと思いまして。(写真のではありませんが)


僕ら世代ではもう、おばあちゃん家にあったような、なかったような。


ただこのフォルムが神社の鳥居に見えるんですね。


イメージが結びついた時、なぜか所有したくなるのは少しおかしいのでしょうか。

家に、衣紋掛けかってきたよ、アートとして飾る為に。なんて奥さんに言ったら即頭の病院に行けと言われそうですね。




僕の欲しかったオールドの衣紋掛けは残念ながら先約がいて、購入に至りませんでした。
シンプルでかっこよかったです。


お店の人が、「坂本君と同じような事言ってたよ、外人の人だけど、新鮮らしいね用途を知らないと、鳥居にみえるとかさ」



用途は何となく知っているんだけれど、、シンボリックなものがあってそれを連想させるものに面白さを感じて、それが桃山ではなく、大正〜昭和、平成初期なんかにあるととても気分が上がってくるんですね。



平成初期っていう言い方は知り合いのすごくセンスいい友達からの受売りです。




自分のとても気分の上がるジャンル紹介みたいになってしまいましたが、


昨今のうつわ関係、骨董関係のSNSでの盛り上がり方ってこういうジャンルが一役かっているように思えているんです。


言葉にしにくく、時代的にもよくわからず。
ちょっとだけ古く、ちょっとだけ新しいものに惹かれるのはどこか、自分の中で過去好きだった、忘れかけていたシンボリックな何かがあるからなのかなぁ、と思いながら今夜もこの青磁盃でお酒を呑んでいるんです。


dai











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